変わりゆく人間関係と日常の光景
最近、ふとした日常の中で「人に関心を持たない時代になったな」と感じることが増えてきました。
特に通勤電車の中や駅のホームではそれが顕著です。スマホをじっと見つめる人々。隣に立つ年配の方や妊婦さんにも気づかず、席を譲ろうとする気配もありません。
自分自身もその一人かもしれないと思うことがあります。
気遣いの文化が薄れてきた?
ひと昔前には、他人に少し干渉するのが当たり前でした。
道に迷っていそうな人に声をかけたり、スーパーのレジで荷物を落とした人を手伝ったり。そうした小さなやさしさが、日常の中にはもっとあったように思います。
それが今では、「声をかけること」にさえ、ためらいを感じる人が多くなってきています。
▼参考リンク:
内閣府:高齢社会白書(人と人とのつながりに関するデータ)
総務省:デジタル社会における孤立とつながりの課題
個を尊重する時代が生んだ副作用
もちろん、個人の価値観を尊重するのは大切なことです。
ただ、その「個を大事にする」流れが行き過ぎると、誰にも関わらないことが「正解」になってしまいます。
他人に声をかけるのがマナー違反のように感じられる社会では、人と人とのつながりは自然と失われていきます。
ノイズキャンセルと「気配の消失」
ノイズキャンセル機能付きイヤフォンの普及は、現代人にとって快適な日常を提供しました。
しかしその一方で、周囲の音や人の声、電車内のアナウンス、そして誰かの「助けて」のサインさえも、届きづらくなっています。
この静寂が、気配や配慮を感じ取る力までも弱めているのではないでしょうか。
頑固親父がいなくなった社会の空気
昭和の時代には、地域に必ず一人はいたような「頑固親父」。
時に厳しく、時に不器用なほど正直で、黙っていても周囲を律する存在。
そんな人がいたことで、子どもたちは礼儀を学び、大人も気を引き締めていたものです。
今、そのような存在は「時代遅れ」として淘汰され、社会から消えてしまいました。
昭和の価値観は本当に古いのか?
現代では「昭和は古臭い」と言われがちですが、そこには人と人との「距離の近さ」や「礼儀」「秩序」など、多くの学ぶべき文化がありました。
今の若い世代も本音では「人とのつながり」を求めているように思います。昭和の価値観は、現代においても再評価されるべきではないでしょうか。
声をかけづらい社会で売る人の苦悩
街中や店頭でも、以前より「声をかけられない」風潮を感じます。
お店のスタッフや販売員が「ご覧ください」と声をかけようとしても、イヤフォンやスマホに夢中な人がほとんどで、届かない。
売る人も、声をかけることに気を使う時代になってしまいました。結果、コミュニケーションがさらに減っていく悪循環が生まれています。
▼参考リンク:
内閣府:高齢社会白書(人と人とのつながりに関するデータ)
総務省:デジタル社会における孤立とつながりの課題
小さな思いやりをもう一度
誰もが安心して過ごせる社会とは、「他人に無関心でいられる社会」ではなく、「さりげなく気にかけ合える社会」だと思います。
ちょっとした挨拶、些細な譲り合い、それだけで人と人との間に温かさが生まれます。
個を大切にする時代だからこそ、他人に少しだけ目を向けることの大切さを、今一度思い出してみたいと思います。
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