仕事は「天職」だったと思う。それでも辞めた。
長年、倉庫の現場で配車責任者として働いてきた。
正直に言って、仕事自体は向いていたと思う。
取引先とのやりとりも、各種輸送業者との連携も、うまく回していた。
何より、「きた輸送依頼は断らない」という気持ちで仕事に向き合っていた。
楽観的な性格もあり、物理的に無理な依頼以外は、すべてお客様のために応えてきた。
売上も、数字的な問題もなかった。
トラブルもなく、むしろ会社の大部分の売上を担っていた。
なのに――僕の評価は、下落していく一方だった。
評価の仕組みが、すべてを壊した
僕が働いていた会社では、具体的な指標がないまま評価が下されていた。
「なんとなく」「頑張っているように見えるから」という曖昧な基準で昇進や査定が決まる。
明確な数字より、上司や経営者の「好き嫌い」で物事が決まっていく。
これは、10年以上働いてきた僕にとっては、非常に虚しい現実だった。
組織の一員として、ルールや判断に従うのは理解している。
管理職として、組織とはそういうものだとわかっていた。
だけど――それでも、納得できなかった。
「このままでいいのか?」という問いに、答えが出せなかった
どれだけ努力しても、どれだけ数字を上げても、
「評価される人」と「されない人」が最初から決まっているような空気。
ふとした瞬間に思った。
「この先、10年後の自分を想像できるか?」
答えは、NOだった。
退職後の初日。感じたのは、解放感だった
2025年5月31日、退職。
辞めた次の日の朝。
起きた瞬間に、ふと笑った。目覚ましが鳴らない静かな朝が、こんなにも心地いいなんて。
「辞めた」という事実よりも、「もうあの空気を吸わなくていい」ということが、何よりも大きかった。
今、僕は“学び直し”と“挑戦”の真っ只中にいる
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登山
自然の中を歩きながら、「ああ、生きてるな」と実感できる。
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ボイトレ
歌が苦手でずっと避けてきた。でも、「チェリー」を歌えるようになってきて、
「歌うことって、気持ちいいんだな」と思えるようになった。
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プログラミング
AIやデジタルがこれからの時代の主役になる。
だったら、自分もそちら側へ一歩踏み出したいと思った。
今はスクールに通ってPythonと格闘中。わからないことばかりだけど、それが面白い。
世の中には、働く場所なんて山ほどある
「10年以上勤めた会社を辞めるなんて、もったいない」
そう思われるかもしれない。
でも、僕は思う。
この世の中には、働く場所は死ぬほどある。
ひとつの会社にすがりつく時代じゃない。
むしろ今は、AIやテクノロジーが日々進化する、未曾有のチャンス時代だ。
辞めたのは、逃げじゃない。
「これからを、自分で選び取るため」だった。
今感じていること
仕事がつらかったわけじゃない。
嫌いだったわけでもない。
むしろ、僕は仕事が好きだった。向いていたと思う。
でも、「理不尽」や「曖昧な評価」を受け入れ続けることと、仕事を好きでいられることは別だった。
今は、自分の時間がある。
挑戦する余白がある。
わからないことに悩みながら、「今日の自分はちょっと前よりいいな」と思える瞬間がある。
それだけで、十分だ。
最後に
退職は「終わり」じゃない。
自分の人生を、もう一度“自分の意志で選ぶ”スタートだった。
やりたいことに時間を使える。
好きなことをやってみてもいい。
人生は思ったより、自由だった。
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